Henry Dyerについて (2)

これは東京大学工学部ニュース No.325(97年04月01日発行)に掲載されたものである.
現在も,http://www.t.u-tokyo.ac.jp/archives/tnews/9704/index.shtml

にあるので参照願いたい.
工学部広報室から許可を得た(2005年7月14日)のでここに掲載する.





 The Henry Dyer Symposium 報告  
実行委員会幹事 新井 民夫(精密機械工学専攻)


東京大学ダイアー記念シンポジウム (The Henry Dyer Symposium) は工学部・工学系研究科主催で1997年3月18日(火)、19日(水)の2日間、安田講堂にて開催された。英国グラスゴーにあるストラスクライド大学(University of Strathclyde) から7名の参加を得て、「工学と工学教育の現代と未来における役割の評価」について討議した。参加者総数143名と広い安田講堂を埋めるにはやや少なかったが、活発な討議が行われた実り多い会議であった。

まずダイアーについて説明しておこう。ヘンリー・ダイアー(Henry Dyer、1848-1918)は、明治6年〜15年(1873〜1882)の10年間、工部大学校の初代都検(教頭、実質の校長)を務めた。工部大学校は工部省の所管であり、初代工部卿伊藤博文がグラスゴー大学のRankineに依頼して都検の選任を進め、グラスゴーのアンダーソンカレッジ(Anderson College、その後のストラスクライド大学)出身で24才の若さのダイアーが選ばれた。ダイアーは日本に渡るまでの船上で、工部大学校のカリキュラムを、 15歳以上で入学、予科学・専門学・実地学の各2年ずつの6ヶ年とし、専門は土木学、機械学、電信学、造家学、実地化学、鉱山学、冶金学の7学科構成と定めた。工部省での実習である実地学の重視はその後の現場重視・実学重視の工学の元となった。ダイアーは8人のイギリス人教師を連れて来日したが、その中には電気工学のAyrton、化学のDiversなどがいて、日本の工学研究の礎を築いた。つまり、ダイアーは工学部の創設者の一人であり、工学教育の先達である。

本シンポジウムは、ダイアーの出身大学であるストラスクライド大学の設立200周年と、東京大学工学部の前身、工部大学校の設立120周年とを共に記念してグラスゴーと東京の両方で開催されたものである。なお、英国側シンポジウムは1996年4月14日から16日に英国ストラスクライド大学で開催され、吉川総長、小山前評議員他が参加した。

今回の東京でのシンポジウムは、主催者岡村工学系研究科長の挨拶から始まり、第1日の午前には、吉川総長が「コレクションとアブダクション」と題して領域別工学体系の成立と問題点について講演し、次にストラスクライド大学副工学部長Hendry教授の「科学と工学研究における産学共同体制−英国での視点」で問題設定が示された。

第1日の午後には、「ダイアーから21世紀に受け継ぐもの」(石原研而名誉教授)、Hunter、Hart両先生による「ヘンリーダイアー−使命を帯びて」、国立科学博物館特別展示「明治の近代化遺産」紹介(清水氏)と、ダイアーおよびその時代の紹介があった。なお、Hunter氏とHart女史はダイアーの傍系の曾孫にあたる実の兄妹で、ストラスクライド大でどちらも教育職にある。続いて、議論は教育体制に移り、「生涯学習−時宜を得たアイデア」(Hart女史)、「工学教育でのボルトとナット」(ワード助教授[機情])、「産業が必要とする工学教育」(松下電器産業の水野博之氏)と、それぞれの立場からの工学教育に対する指摘、提言があった。水野氏は様々なデータを駆使して、日本の産業界が幸運にも置かれてきた今までの状況を示し、今後の工学教育の方向性を示唆した。

第2日の午前には、産業の位置付けを議論した。「テクノグロバリゼーション:コンピュータ技術の工学教育へのインパクト」(MacCallum教授)、「単品生産−21世紀の生産方式」(小山健夫教授[船海])、「研究と技術移転による産業界のパフォーマンス向上」(Bititci教授)、「技術力とビジネス知識とコミュニケーション技能とのマッチング」(Kuo教授)と、特に技術を中心に論じて、これからの産業の位置付けを試みた。まとめとして、「産業地域の遷移−進化論的検討」(薬師寺教授[慶応大])の講演で、日米欧の産業比較がされた。

シンポジウムの最後は教育をまとめた。 Spence教授による「未来を技術開発:英国における工学の発展」と合志教授による「工学教育の未来像」で工学教育の将来像を探った。合志教授は工学部卒業生のアンケート結果などから、東京大学工学部に何が求めれられているかを指摘した。締めくくりはパネルディスカッションであり、吉川総長、合志前工学系研究科長、木原現評議員、小山前評議員といわば工学教育に責任ある立場の教官がパネリストとして並ぶという豪華な顔ぶれであった。あらかじめ寄せられた産業界からの提言をOHP2枚で発表してもらい、それに対する意見が聞けるとのことで、衝撃的な議論を期待したが、残念なことに時間不足で、提言への対応を討議で深めるまでには至らなかった。それでも工学部がおかれた状況とその対応を考えさせられる2時間であった。

ダイアーが工部大学校を開いた時代も、今と同じように社会は進むべき方向を見失っていたと想像される。しかし、その頃の大学校での学生や教官は「何を学ぶべきか」についての今よりずっと強い確信を持っていたのであろう。今また混迷の時代を迎え、工学の先達を学ぶことは価値あると思われる。工学部の歴史は東京大学百年史にも書かれている。しかし、工学部の教官の中にもダイアーのことを知らないものが多い。このシンポジウムが工学の先達ヘンリー・ダイアーの業績を世に知らしめる一助となることを望むものである。

本シンポジウム開催にあたり、多くの方々のご支援を頂いた。組織委員会は名誉組織委員長に吉川弘之総長、委員長に合志陽一前研究科長にご就任頂き、企業のトップの方からなる構成とし、産業界にも広くダイアーを知って頂くようした。実行委員会は小山健夫前評議員を委員長に、いくつかの専攻から委員にご就任頂き、3ヶ年に渡る準備を進めてきた。また、工学部・工学系事務からは岩元忠幸事務局長、有岡雅明総務課長、植田榮司経理課長、野々原明(工学部・工学系事務部)をはじめとして多数の方にお手伝い頂いた。会計窓口等は総合研究奨励会にお願いし、斎藤正夫事務局長にも大変お世話になった。また、文部省(国際シンポジウム助成)を頂き、前田記念工学振興財団、鹿島学術振興財団、高度自動化技術振興財団ならびにThe British Councilの助成を受けた。紙面を借りて御礼申し上げる。


(文責 新井民夫 工学系)

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