旅行と滞在
趣味として,旅行を1番にあげた.学生時代の流浪生活は今でも私の人生のハイライトである.そこで,思い出深い旅とこれからの旅について話しておこう.
- 国内旅行では,中学2年の中間試験休みにいった「佐倉から銚子までの徒歩旅行」,中3から高1への春休みの「紀伊半島・高松」,大学1年の「東北+函館」,そして70年の「大阪万博と山陽路」が思い出深い.最後の旅行は父と行った.
- 我が家は家族で旅行するなどという洒落たことはしなかった.だから子供の頃の旅行は「大山講」であったりした.
- 中学の修学旅行は京都,高校は九州であったが殆んど覚えていない.写真の記憶が自分の記憶である.
- 海外旅行ではなんと言っても初めてでかつ最長の旅(1)「大学3年の西欧中近東世界ヒッチハイク」が大きい.それに,(2)「1972年のベルギーフランスイタリア新婚旅行」,幼い家族を連れての(3)「1980年,ドイツ東欧の旅」が記憶の中心を占める.英国から帰国の時にアメリカを回った(4)「ボストンからサンフランシスコまでの旅」も印象的であった.
- 滞在は旅行とはいえないかも知れないが,東京から離れているという点では「旅」のひとつである.特に1ヶ月程度の滞在は,まだ「旅」の範疇に入れておきたい.やはり滞在すると違うものが見えてくる.第一に食べ物の理解が異なる.次に朝・晩・昼間で街の声の違いが分かる.その代わり,日数を重ねたとしても経験できる世界は決まっている.長期滞在は1979〜81年の英国Edinburgh大学留学である.2ヵ年いられたことは英国文化を理解する上で大変良い経験であった.短期滞在型としては1998年にイタリア・パドバで10週を過ごした.2003年にはSARS騒ぎの時期にEdinburghで4週を過ごした.共に生活と勉学とで結構忙しかった.
- 滞在型の場合,Hotel以外にどのようなところに住むかの選択が重要である.パドバでは大学の寮に泊まった.EdinburghではWeekly Mansionを予め手配した.大学の寮もあったが,5月では空きをみつけることが難しく,internetで検索できるWeekly
Mansionを徹底して探した.運よく,2つの契約の狭間でちょうどこちらの希望の時間だけ空いているMansionを見つけて入ることができた.
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Weekly Mansionの住所は Parliament Square (国会広場)であり,市の中心(同時にScotlandという国の中心)にあった.写真の2階,コーナ部が部屋である.右の塔は宗教的政治的な告知の場所として使われた8角形の建物(名前を現在調査中).その前の同じく8角形の看板はGhost
Tourの宣伝.部屋の窓からのぞくと3社が30分おきにGhost Tourが出発していく. |
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設備はよかった.特に台所がよかった.食事が作れるというのが嬉しい.ホテル住まいより少々安い程度だが,ベッド数で4,ソファーにまで寝れば,6名が泊まれる.同じ建物の中に5つは同じようなRental
Roomsがあったが,皆外国人,それもアジア系が多かった.
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目の前の通りはHigh Streetという観光の中心地,Edinburgh CastleからHollyrood Palaceまでの1マイルをRoyal
Mileと呼び,みやげ物屋が軒を連ねる.広場の反対側は政府の建物が並び,Prince Charlesが出てきた.そんな地域である.
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- これ以外は殆んど国際会議である.いわゆる論文発表の国際会議は一見楽しそうだが,朝から夜中までの連続で決して楽ではない.厳しいのはISOの会議や審査である.
- ISOの会議の場合,予め日本国内で宿題を済ませておく.委員会で業界の意見を集約し,交渉点を絞って会議に臨む.会議は通常,昼14時に開始して,論点を整理し,その日のうちに意見をまずは言い合う.夜には共にどこかのレストランで食事をする.夜中近くにホテルに戻り,翌日の準備をし,ベッドに入るのは2時ごろになる.翌朝,8時から戦いが始まる.互いに当然ながら自国の事情に合わせて主張する.論理的な主張もあるが,多くの場合,各国の現状認識をぶつけ合う.その中で妥協点を探っていく.2日目の夜も一緒に食事をすることもあるが,同時に最終調整のための議論も入る.第3日の午前中はその会議の結論を出すために使われる.前の日までの論点を整理した文書が配布され,それに対して修正を掛けつつ,決定事項をしっかりと確認し,残された作業をどのような形のHomeworkとするかを定める.うまく運べば午後2時には解散だが,時にはその後,また国別調整が入る.一気に説明したが,これを英語で主張しつつ,かつ,記録をとることは至難の業である.だからいつも2名で参加した.
- 国際会議への参加は旅行とはいえない.覚えているのは空港と会場のホテルとなってしまう.
- 子供が小さいうちは「夏休みの宿題対策」として家族旅行に出た.避暑地のコテッジに数泊の旅が普通であった.京都も歴史の勉強を兼ねて出かけた.
- 子供も成長すると,家族旅行は「両親を連れての旅」になる.ただ泊まっておしゃべりするだけだがこれが家族旅行なのだろう.
- 日本は夏休みを4週間もとる習慣はない.英国の農村に住む人がキャンピングカーを牽引して,遠く離れた別の「村」の緑多い場所に移動して,夏休みをとっていることを知った.周りは住んでいる村と変わりがない.それでも日常生活の人々,リズムから離れることが休暇なのだろう.イタリア人の友人は,健康のために「海辺」で夏休みをとるべきだという.イースター休みにその友人夫妻とソレント・ポンペイ・アマルフィーへ行った.毎日,観光した.日本人と一緒だと「忙しい休暇になる」といわれた.
- これから行きたい海外の場所はと尋ねられるなら,アイスランド,ザンクトペテルブルグ,トルコの遺跡群,.....沢山或る.アジアの国々も尋ねたい.
- 英国のカナルを狭いボートで旅してみたい.
- コペンハーゲンからシシリーまで,2ヶ月ぐらい掛けてゆっくりとしたドライブ旅行をしてみたい.
- だがもっとしたいのは,小さな都市に住んで,ゆっくりと「その街の人たちと交流」したい.そのためには,こちらがGIVEできるものがなければ長続きしない.
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