Title of Homepage

Members

 人間とはおかしなもので,高齢になってくると「歴史が重要だ」と言い出します.同じような失敗を自分自身が3回も繰り返せば,世の中,すべて繰り返していると思いたくもなるのでしょう.Homepage内に「歴史」などというページをおくことは老化現象なのだと確信しているくせに,あえて作りました.

 2005年5月に駒場(東京大学教養学部)の進学情報センターのシンポジウムで話をする機会がありました.その内容は,「ヒッチハイカが大学に残るまで」として示してあります.その中に,現在2005年に駒場の時代1967年当時の関係を「この話は約40年前の話である.私が駒場に居たとき(1967年)を基準にするなら,ちょうど1929年の大恐慌の経験を聞いていることに相当する.そんな経験談が若い人に何に役立つのだろうかと自問自答する.」書いています.ですから,歴史を書いても実は何も役立たないのかもしれません.
 それでもかまわず,ここには研究室周辺の歴史を書いてみます.
このページは全くの未完成です.
間違いがありましたら,ご連絡ください.
私が大学で師事した先生方




 東京大学が大学院化する前には,この小講座は「精密機械製造学講座」と呼ばれ,製造技術を扱ってきました.(故)倉藤尚雄教授(1966年〜1968年4月),木下 夏夫 教授(1971年〜1991年3月)が担当した後,1991年4月より新井民夫教授が担当しました.木下教授の研究の中心テーマは放電加工でしたが,1970年頃から組立とロボットの研究を開始しました.
 新井は1981年から独立して研究室を運営し,その後, 大隅 久講師・助教授が共に研究にあたり,1994年10月からは太田 順講師・助教授が共に研究しました. 1999年4月1日からは湯浅 秀男(ゆあさ ひでお) 助教授が新任として名古屋大学から精密機械工学専攻に来られ,3研究室での合同運営になりました.ところが湯浅先生は2002年9月18日に急逝され,2研究室の合同運営に戻りました. 2004年3月1日に横井 浩史(よこい ひろし) 助教授が北海道大学から 着任され,再び3研究室の合同運営になりました.
このころ,各研究室に対して,それまでの「教授名」研究室から,分野を明示することとなりました.そこで,「知能システム」(Intelligent Systems)分野 を標榜するようになりました.この名称は公的なものではありません.また,分野,領域,研究室の何処につけるべきかも不明確のまま,運営されています.
その後,太田准教授が2009年4月に教授に昇任し,その直後,2009年6月に人工物工学研究センター教授へ異動となりました.一方,横井浩史准教授も2009年6月に電気通信大学 大学院情報理工学研究科 知能機械工学専攻 教授として異動しました.
2009年12月に淺間 一 (あさま はじめ)教授が人工物工学研究センター サービス工学研究部門から精密機械工学専攻へと異動し.新井研と共に運営することとなりました.2011年10月,淺間教授の下に,山下淳(やました あつし)准教授が赴任してきました.
2012年3月を以って,新井 民夫は定年退職いたします.このページはすこし雰囲気を変えて,知能システム分野の研究室に残ることを希望します.
 精密機械工学専攻は長く工学部2号館(安田講堂北隣り)に居ましたが,1995年4月より現在の工学部14号館に移りました.以後,8階,10階に研究室を置いています.


1964?   倉藤尚雄助教授着任.放電加工の研究.1968年に逝去.  
1966?   木下夏夫助教授着任.放電加工の研究に参加.  
1966   新井民夫,大学院佐田木下研究室へ配属.  
1977   新井民夫,「自動組立に関する研究」で学位取得.  
    このころの研究室(精密機械工学第6講座)は,木下夏夫教授が担当し, 特殊加工などいわゆる切削加工以外の工作法などを担当する講座で あった.  
1977   新井民夫 精密機械工学科 第6講座の講師となる.  
1979   新井民夫 助教授となる.8月より英国エディンバラ大学人工知能科 Robin Popplestone先生の下へBritish CouncilのScholarshipで行く. 81年8月までの2ヵ年.  
1983   新井民夫,工学部総合試験所機械方面研究室担当助教授.ここでは試作室を担当し,また,多くの先生方と共に働く.〜86年3月までの3ヵ年.  
1983   松元明弘君を助手に採用.初めての助手.〜1988  
1987   新井民夫 精密機械工学科 教授となる.
木下教授もまだ在任中で,他の講座の教授ポストを使用.
 
1988   大隅久君を助手に採用.〜1991  
1991   3月,大隅久講師,助手より昇任.93年7月助教授,94年7月中央大学へ異動.  
1991   太田順君を助手に採用.〜1995  
1992   工学部,大学院化.この年,7学科転換.94年度で終了.95年度から工学部全てが大学院化.  
1994   太田順講師,助手より昇任.96年より助教授.  
1995   相山康道君(現在,筑波大学).〜1999  
1995   工学部2号館から14号館へ移転.  
1999   湯浅 秀男助教授,名古屋大学より着任, 2002年9月急逝.
1999   前田雄介君(現在,横浜国立大学).〜2004.  
1999   学部教育は精密機械工学科からシステム創成学科へ改組.   
1999   嘉数侑昇北海道大学教授が客員教授として併任. 〜02年3月まで.  
2000   人工物工学研究センターのセンター長を併任,〜2005年3月末まで5ヵ年.  
2004   横井浩史助教授,北海道大学より着任.〜2009年5月まで.  
2004   上田隆一君,博士課程学生から助教に.〜2009年3月まで.  
2009   4月,原 辰徳 君,博士課程修了で助教に.〜2011年3月まで.  
2009   4月,太田 順 准教授,教授へ昇任.  
2009   6月,横井 浩史 准教授,電気通信大学 教授へ昇任,転出.  
2009   6月,太田 順 教授,人工物工学研究センター 教授として転出.  
2009   11月,淺間 一 教授,人工物工学研究センター サービス工学研究部門教授から異動.  
2011   4月,原 辰徳 助教,人工物工学研究センター 講師へ.  
2011   10月,山下 淳 准教授,静岡大学より着任.  
    ----現在----  
2012   3月,新井 民夫教授,定年退職.  
  
 The Henry Dyer Symposium 

  Henry DYER (1848-1918)は明治6年〜15年(1873〜1882)の10年間,工部大学校の初代校長(正式には都検)を務めた.工学部という概念は日本発である.1900年前後にヨーロッパにおいて,工学部という学部を大学に設置することの是非について議論が起こったという.

 そのHenry DYERに関するシンポジウムが1997年に行われた.新井がCIRPの国際会議でEdinburghへ行った時,Strathclyde大学のProfessor MacCallumが吉川弘之東京大学総長(当時)に国際会議の相談をもちかけたことから始まった.私はその場に居合わせたことから,その後,この The Henry DYER Symposiumの実行委員会幹事として担当した.

 
Henry Dyer Symposiumの案内:工学部ニュースのアーカイブにある.http://www.t.u-tokyo.ac.jp/archives/tnews/9702/symposium.html
私のHomepageにも転載してある.
 
 この国際会議は日本機械学会の後援http://www.jsme.or.jp/9703181c.htm も得た.その理由はHenry Dyer が日本機械学会のいわば設立者だったからである.ちなみに日本機械学会と同時期に日本工学会の設立されている,これは工部大学校の卒業生からなったようである.日本工学会の小史に次の記述がある.

「日本工学会は、創立当初は「工学会」と称し、明治12年(1879)11月18日旧工部大学校の土木、電気、機械、造家、化学、鉱山、冶金の7学科第1期卒業生23名が相互の親睦、知識の交換を目的とて創立。創立当時は工部大学校の卒業生だったが、同大学以外の関係者に門戸を開放し、我が国の工学・工業の発展に貢献した。」
 British CouncilのNews LetterにもHenry Dyer Symposiumのことを宣伝した.http://www.bcja.net/newsletter/newspdf/news7.pdf

明治の初めに,遠い東洋のそのまたはずれの国にきて,教育に情熱を捧げた「雇い」の人たち.それが今日の日本の繁栄に結びついていると思う.


 工学部の歴史と精密機械工学専攻の歴史 

工学部の歴史は,工学部のホームページにある.それによれば,東京大学工芸学部と工部大学校とが合併して,工科大学が出来ることでスタートする.その翌年,造兵学科が置かれる.
M19(1886) 3 帝国大学設置
東京大学工芸学部と工部大学校の合併により工科大学(後の工学部虎ノ門)を設置
土木工学科,機械工学科,造船学科,電気工学科,造家学科,応用化学科,採鉱及冶金学科を設置
M20(1887) 9 造兵学科,火薬学科を設置
M21(1888) 7 工科大学施設を本郷に新築(虎ノ門より移転)
S21(1946) 3 第一工学部の造兵学科を精密加工学科に改称
S21(1946) 3 第二工学部の造兵学科を精密工学科に改称
S22(1947) 4 第一工学部の精密加工学科を精密工学科に改称
S22(1947) 10 東京帝国大学が東京大学に改称
S24(1949) 5 新制の東京大学となる
第一工学部は土木工学科,建築学科,機械工学科,精密工学科,
船舶工学科,電気工学科,計測工学科,石油工学科,鉱山学科,
冶金学科,応用化学科の11学科に整備される
第二工学部を母体として生産技術研究所を設置
H04(1992) 4 大学院重点化に伴う工学系研究科の整備開始
(初年次7専攻:精密機械工学)
H11(1999) 4 システム創成学科が始まる
(精密機械工学科,船舶海洋工学科,システム量子工学科,
地球システム工学科の4学科がまとまって1つの学科,4つのコースを設置)
H16(2004) 4 東京大学,国立大学法人化
H17(2005) 4 システム創成学科内の4コースを6コースに再編.
精密機械工学専攻系は生体情報システムコースを廃し,知能デザインコース,知能メカトロコースを設置する.
H18(2006) 4 精密工学科,(形式上)再発足.2年生の進学は2007年10月.
H23(2011) 4 精密機械工学専攻を精密工学専攻へ改称.
リストマーク 皆様,ありがとうございました.

Copyright (C) 1997-2012 Tamio ARAI      [Last updated: 120206/080725(robot.t)/050801/050505 by Arai]