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 大学で私が師事した先生方 

山口 隆男 先生
 卒論の指導教官.その年1970年に退官されて,電機大学へ移った.講義はポツリポツリと話された.設計製図の担当だった.1970年の段階でMechatoronicsを実現していたことは今から考えると素晴らしいことだ.90歳を超える高齢で逝去された.その後で弟子が開いた偲ぶ会へ寄せた文「必修の製図は卒論で」を掲載する.
佐田 登志夫 先生
 修士論文の指導教官.直接には木下夏夫先生が指導していたが,佐田教授・木下助教授の研究室となっていたので,形の上では佐田先生であった.佐田先生は日本の生産技術,特に加工とCADシステムの大親分である.気さくでエネルギッシュな先生である.私が生産技術関係の仕事をしているのもこの大先生のお陰である.

 海外の国際会議にで,私が眠そうな顔をして「時差ぼけです」などと佐田先生に申し上げると,「新井君,日本で時差調整をしてこなかったのかね.」と答えが返ってくる.この時差調整とは出かける前の数日は仕事で徹夜が続くという意味であった.
佐田登志夫先生は2010年4月に逝去された.その時,私はSwedenのLingkoping大学でのCIRPの国際会議 IPSSに参加していた.すぐに帰国しようと思ったが,Icelandの火山噴火による飛行停止に遭遇して,帰国はかなわなかった.
木下 夏夫 先生
 私の修士論文・博士論文の指導教官.自動組立の研究に誘い込んでくれた恩師.博士課程に残ることを私に勧めてくれた.若い講師だった私に自由にやらせてくれたことを今でも感謝している.
 木下先生の専門は放電加工.研究室からは増沢隆久教授@生研などの著名な放電加工の研究者が出ている.それなのに不詳の弟子は「組立」と「ロボット」なので,私が木下先生の弟子であることを知らない人もいるが,正真正銘の後継者である.
吉川 弘之 先生
 制度上の指導教官ではなかったが,全ての「概念」の指導教官であり,今でも影響を受け続けている.研究室に良く遊びに行き,教官になってからも指導していただいた.学部長から総長特別補佐,そして総長となり,現在の産業総合技術研究所理事長として活躍された.人工物工学研究センターの提案者である.人工物工学研究センターが「現代の邪悪」の解決を宣言していることから私もその努力を続けようと思っている.
私にとって幸せだったのは,大学の学科・専攻の中だけでこれらの先生の指導を受けたことである.もちろん他にも沢山の方々のお世話になった.

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