人工物工学研究センターニュース
2005年7月号 掲載
退任の挨拶〜 人工物工学を推進して
新井民夫 前センター長
  2005年3月をもちまして、人工物工学研究センター長を退任いたしました。気が付けば5ヵ年の長きに亘り人工物工学研究センターと共に歩んでまいりました。この間、センターの改組、担当教員の交代、大学法人化など変化に富んだ時期だったと感じます。

  1992年に設置された人工物工学研究センターはセンターの存続が10年間に限られていましたので、私の在任中に新しいセンターの設置要求を出す必要がありました。着任早々新しいセンターの理念についての議論を開始し、2000年11月には東京大学内部で新センターの設置要求を出しました。センター紹介にある新旧2つのセンターの構成図はそのころ一般化したPower Pointを用いて作図したものです。「現代の邪悪」という文字が星型に爆発する図形に囲まれているのを見ると思い出します。同時に、工学系内部でもセンターの拡充を要請し、地球システム工学専攻から助手を転換していただきました。システム創成学科を構成する4専攻がセンターの支援組織としてもそろい、工学部・工学系の中で新しい工学を追求する体制は整ったといえます。新しい分野の研究の必要性を皆様に理解していただくことは、小職が想像していたよりずっと困難な作業でした。新しさを求めるが故に、新しい名前をつけた研究部門を設置します。その部門の目的は理解されても、具体的な研究方法までは決まりません。「それでどうやって研究するのですか」といった問いに答えるには苦労しました。この苦労はきっと今後も続きますが、それがセンターの使命です。

  人工物工学研究センターが抱えていたもうひとつの大きな問題は面積不足でした。設置申請時に「面積は大学内で都合する」という形になっていたために、工学部総合試験所での借室からスタートし、その後、駒場16号館にセンターの看板を掲げることができましたが、面積的にはきつい状況が続いていました。2002年に教員定員が増加することが決まり、また、センターで研究する学生数も増えていたので面積の不足を感じているときに、柏に新しい建物を建設できるとの話がありました。面積要求は1996年ごろから継続的に出していたのですが、それが実現するとは思っていなかっただけに、うれしかったのです。同時に「都市型研究の組織」が柏に行くことに抵抗もありました。しかし、今年、柏の総合研究棟に入居し、質の高い研究環境を見て、喜んでいます。3センターと共に新しい大学研究センターの形を探っていくことを願っています。

  2004年には東京大学が国立大学から国立大学法人と変わりました。これはセンターという組織にとって環境条件の大きな変化です。「大学が独自の基準でセンターを設置できる」ことが理念的には認められたからです。また、今までセンターに定めていた時限を「組織評価によって組織の存続を定める」と変えて、制度的には「時限組織」という考え方がなくなりました。しかし、大学にとっての研究センターの意義はまだ議論されていません。私の個人的な考えを述べさせていただくなら、センターとは「ある分野が社会的に必要であると考え、関連する研究者を集合させてその学問分野を創成・強化・転換するため」の組織です。法人化した東京大学はその意味で社会的貢献を今まで以上に推進する必要があると信じます。その意味で、人工物工学研究センターのような「問題解決を体系的に図る」センターが増えることを期待しています。

  私にとって人工物工学とは何なのかを最後に述べておきましょう。私が大学に入学したのは、日本の高度成長経済を支える工学部の拡張期で、大量生産の良い面と悪い面とを共に体験しました。生産の問題が自分に関わる問題であると理解したのは、工学部に進学することで、自分と社会との関係を考え始めたからでした。そしてその問題意識を持ちながらも、実はほとんど忘れて設計生産の研究を続けてきたのですが、センターでの職を得て、我々一人ひとりの社会に対する責任、未来に対する義務を強く感じたのです。そこで、大量生産システムの解決策としてサービス工学の研究を推進してきました。これからも人工物工学研究センター発の新しい工学分野としてサービス工学を研究していきます。センター長は退任しても、人工物工学研究センターの一員として今後も共に歩んでいきたく思っていますので、よろしくお願いいたします。

リストマーク 人工物工学研究の考えが広まることを願います.

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