ロボット言語の標準化に携わったのは,英国エディンバラ大学でRAPTの研究グループに参加し,ロボット言語の難しさを感じたからである.1981年から1996年頃までJIS化作業に関ったが,本当に大変な作業であった.
ひとつはISOの国内対応であった.ISO TC184/SC2/WG4 (産業オートメーションシステムとインテグレーション/工業用ロボット/プログラミング方式とロボット言語)ならびに
ISO TC184/SC2/WG6(../../ロボット-CS)を担当した.一方,このISOの規格と同様の枠組みで,日本国内でもロボット言語の標準化を推進する活動を行った.
この間,日本の標準であるJISに採用されたのは,
JIS B 8439-1992 産業用ロボット - プログラム言語 SLIM JIS B 8440-1995 産業用ロボット - 中間コード STROLIC JIS B 3602-1995 工業自動化システム - 製造メッセージ仕様 - ロボット附帯規格である.これらの活動では,日本ロボット工業会の方々に大変お世話になった.
ISOの活動は,ISOへドラフトとして提出された企画案を討議する.
ヨーロッパで開催される会議は通常3日間,昼に集まり,まず議案の確認から始まる.
その後,宿題となっていた前回の懸案事項を夜まで討議する.夜は一緒に食事をするのが普通だが,別々に作戦会議になることもある.
2日目は主たる議案をこなす.最後の3日目には調整を行い,宿題を明らかにして,スケジュールを立てる.
これらは当然英語で続けられる.私にとって,ISOの会議は英語の訓練の場,特に議論するテクニックと人を説得する方法を習得する場として大変役立った.
夕食を一緒にするときには,楽しく,素敵な話題も提供することを心がけた.夕食は夜中近くまで続くこともあるが,その後,あるいは翌朝早くに起きて,前の日のまとめを文書にしておかないと翌日戦えない.昼間は相手の説得に全精力を注ぐと,議事の流れを記録にとることがおろそかになる.同行するものが居るときには,その人にメモの担当をお願いしたが,一人で乗り込んでいく時には困ったものであった.
3日間を一緒に「生きる」感じでISOのメンバーと議論をした.それだけにドイツのChristian Blumeとは今でも友人としてやり取りが続いている.
会議に出席すると大量の書類を持って日本へ帰る.帰りの飛行機の中は国内での作業をどのように進めるかの立案と報告書作成に使われた.Economy
Classの狭い席で100ページを越す書類を読みながら,何で私がこの仕事をしなければならないのかと自問自答したこともしばしばであった.
国内では関係企業があつまり,十分に討議するのでしっかりとした結論を作成できる.それをもってまた次に会議(大体,年3回を目標に活動したが,実際に年2回平均であった)にまた持参し,交渉する.その繰り返しであった.
ISOの会議には東洋大学の松元明弘先生,三菱電機の森俊二さん, 日立の毛利俊治さんたちと参加した.他にも多くの方々に支援していただいた.
SLIM(Standard Language for Industrial Manipulators)とSTROLIC(Standard Robot Language in Intermediate Codes)についてまた別の機会に説明しよう.
ロボットの標準化に関するHome Pageとしては, 松元明弘先生@東洋大学のHomePageを参照されたい.
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